2003年の『TOP OF THE AUDITION』でグランプリを獲得したという記事もありましたが、このオーディションの実行委員会の事務所の所在地とレイズインの所在地が同じなので、主催はレイズインといってもよいでしょう。レイズイン主催の新人発掘オーディションですね。業界でどれだけの権威があるものなのか…。どうやら、このグランプリ受賞の前後が改名の時期かもしれません。
2007年グランプリ
☆賞金100万円
☆サイパン旅行
☆CDデビュー
☆ドラマ出演
☆無料レッスン
・その他、各部門賞あり
彼女の時の賞品はどのようなものだったのかは不明です。ちなみに第一回は1993年だそうで、同オーディション受賞者の中には市川由衣、市川円香や林寿美もいるとのことですが、市川由衣を除いて、私にはさっぱり分からない名前です。尚、林寿美とは「結婚式へ行こう!」で競演を果たしています。市川由衣の現在のプロフィールからは『TOP OF THE AUDITION』のことは消えています。 このオーディションでグランプリを取ったことがレイズインへの移籍に繋がるのか、それとも既にレイズインに所属が決まっていての出来レースだったのかは不明ですが、多分、後者でしょう。二十歳過ぎのローカルなタレントを一躍売り出すための勲章としたかったのではないかと思われます。
木下あゆ美のプロフィールの中に「スカイパーフェクTV 269ch・MUSIC JAPAN TV『ミュージックアイドルチョイス』アチョッ娘会員番号10」というものもありました。これはレイズインの製作番組であり、『TOP OFTHEAUDITION』受賞者の湯原麻利恵や首藤薫も出演しています。尚、アチョッ娘002番の青山梨子(1984年04月08日生まれ)は2004年にAVデビューを果たしています。人生いろいろ、女だっていろいろ。木下あゆ美のファースト写真集の出来栄えを見ると、まさに紙一重。彼女は特撮子供番組によって、ブレイクしたおかげで、あちらの世界に踏み込まずにすんだのかもしれません。
2004年頃、雑誌『Happie』(インフォレスト)でモデルとしてレギュラーで活躍していました。「Aチャン」の中で「私はリアルにもモデルをしていた。」とのコメントがありましたが、多分、この時期の活動を指すのでしょう。この雑誌とは現在の「ハピーナッツ」のことです。ストーリー系の若い女の子向けのファッション雑誌です。 読者層がハイティーンのために、モデルのプロフィールとして二十歳過ぎでは支持を得られないかも・・・と年齢詐称が起こったとも考えられます。 ファッションモデルとしての活躍は2005年12月22日の『street JACK』で最後なのかもしれません。
レイクの宣伝で有名な夏川純。年齢を3歳詐称していたのを自白。本当は26歳だったそうです。新聞によりますと再デビュー当時、既に22歳でしたが、十代のファンの支持が欲しくて19歳にと詐称することにしたとの事。もちろん、事務所の意向だったのでしょうが、当人もそれを認め、遂行していたのだから、事務所とぐるだったわけです。すべてを事務所のせいには出来ません。
デカレン当時に私自身も不思議に感じていたものです。初期のプロフィールを見るとウメコ役を演じる菊地美香よりもジャスミン役を演じる木下あゆ美の方が若かったのですから。へーっと思っていたら、早速に詐称を改定してしまいました。まぁ、事務所も本人も潔かったと言うことです。
22歳ではアイドルとして十代の支持を得られないという事務所サイドの発想は貧しいものです。人は歳を取るのです。グラビアを飾って何ぼというグラドル世界の事情もわかります。でも、芸能界を生きるうえで、若さだけを売りにするなら、すぐに次世代の若手にその場を奪われてしまいます。それ以外の要因なくして生き残ることは出来ません。刹那的な今だけを重視するのは営利団体としての事務所の意向であり、その方針を否定は出来ません。しかし旬のタレントとしての価値は消耗品かもしれませんが、タレント自身の人生は消耗品ではありません。どうか、自分の人生と真摯に向き合って、芸能生活を続けて欲しいものです。
夢を売るのも芸能界ですが、人として生き様を見せ、多くの人を感動させるような、喜ばせるような、その活動で人様のお役に立つような、そんな生き方をして欲しい。
綺麗な蝶にも毛虫の時代がある。蝶をめでる人には毛虫をめでる心も必要です。女の過去を洗うのは野暮です。不変の未来を期待するのも野暮。女の嘘はアクセサリーみたいなものだってルパン三世も言っています。「女には過去も未来もない。ただ現在があるのみ。」と鬼の平蔵も言ってました。
レイズイン時代の個人HPの表紙画像
本サイトは木下あゆ美の女優業を研究するのが主目的であり、彼女の私生活や家族構成等はその研究対象外なのですが、割合確かな情報がまとまりましたので、記録しておきます。
父は大分出身、リフォーム(中でも塗料)関係の会社を経営。実家から高校までは通学に一時間以上かかったみたいです。駅から高校まではかなりしんどかったかもしれません。
母は専業主婦。高一のときにファミレス(デニーズ笠寺店?)でスカウトされたのがデビューのきっかけですが、その時に最初に相談したのが母であり、賛成してくれたのも母のようです。お婆ちゃん子だったというけれども、ここぞという相談はやはり母親だったのでしょう。
兄妹は姉が二人、兄が一人。四人の兄妹の末っ子です。長女から彼女まで5歳と離れていないと言うほぼ年子状態。(2016年9月、本人のブログに4姉妹との記載あり。要確認)
それにお婆ちゃん。:(2015年4月ご逝去)
実家で猫を二匹飼っていましたが、2007年にタイガー(茶トラ)が亡くなって、彼女はしょげていました。ヤマト(黒猫)は健在らしいです。 2007年12月25日に公式ブログを始めましたが、そのタイトルバックにその二匹の飼い猫が登場しています。比較的裕福な大家族の末っ子として育ったという感じでしょうか。少女時代(七五三)の晴れ着姿も綺麗でした。
最初に所属したパーツは事務所兼タレント養成所であったようですので、最初はレッスン代として月謝を払っていたかもしれません。その後、仕事が入ってくるようになってから、ギャラの中から返済するというタイプもあったそうですから、そのいずれかのパターンでしょう。売れないタレントは月謝をチャラにする代わりに、いろいろなイベントに派遣されるそうですから、いろいろ経験を積んだと思います。
2002年にパーツタレントアカデミーにてレッスン中との記事が確認されましたが、まだ藤沢あゆ美時代です。事務所移転のごたごたがあったのかもしれませんが、前述のライブイベントもその当時の話らしいから、迷走の時代と言えます。それとも短大を卒業しようと学業に精を出していたと見るのがファンの素直な解釈というべきかなぁ。
調査の結果、木下あゆ美への改名、年齢のさば読みが行われたのは2003年の夏であることが分かりました。スターダストへの移籍時にプロフィールの年齢が元に戻されたということでしょう。パーツからスターダストへの移籍は彼女が短大を卒業し、東京に進出。様々なアプローチを試みた時期のようです。この間に彼女のプロモーションをレイズインが担当していたようで、レイズイン時代は彼女にとって次のステップへ進むための雌伏の時期だったといえるでしょう。「れもん色の午後」(1984年生まれとの表記あり)と「2005年ポスターカレンダー」はレイズインの制作で、スターダストに移籍後の販売となっています。スターダストに移籍してからは、グラビアモデルとして注目を集めつつも徐々に撤退し、女優業に専念できる環境になったようです。ヒーローを演じ、多くの子供たちとの接点を持ったことが、彼女の転機になったのかもしれません。が、今後は一人の女優として型にはまらずに大成して欲しいものです。
木下あゆ美の本名は公開されていませんが、ネットでは本名を木下あゆ美とする説と平岡歩美とする説が混在します。各種タレント名鑑によると木下が本名であると記載されておりますので、そもそも「平岡歩美」説の出自が気になるところではあります。(高校の卒業生名簿を調べたという話もありますが信憑性が薄い)
当探偵社では木下あゆ美が本名であるという立場を従来から取っていました。2012年12月13日の誕生日に一般人の男性と入籍を済ませたことを同年同月16日のブログで報告しました。相手は皮革製品ブランドの経営者兼デザイナー。結婚を期に芸名を改名をする予定はないようです。テレビの準レギュラー出演や主演映画が完成する等、順調な船出を見せています。というわけで、現在の本名として当社は「飛田あゆ美」説を推します。2014年7月7日、難産の末第一子を無事出産した後、スターダストプロモーションから独立、ennoエンノに所属。女優業に復帰しました。
(この研究記事は当時のネット情報をまとめたものです。レイズインとは何だったのかという記事が謎として残っていますが、名古屋にも拠点があったのでパーツと関係があったのかもしれません。20241年にもレイズインは音楽制作会社として<活発に活動しています。短大時代にレイズイン主催のTOP OF AUDTIONに合格したことにより木下あゆ美は数年間レイズインからのプロヂュースを受けていたのでしょう。)