特捜戦隊デカレンジャーTHE MOVIEフルブラスト・アクション




特捜戦隊デカレンジャーTHE MOVIE フルブラスト・アクション(2004年、東映)

 映画興行のかき入れ時は盆と正月である。春と秋に公開される映画は元々当たらないことが前提だ。東映まんがまつり、東宝チャンピオンまつりといった子供向けスペシャル企画はテレビプログラムの再編集版やアリバイ程度の新作がパッケージされたお子様ランチだった。春休みにドラえもん、GWにクレヨンしんちゃん、夏休みにジブリという興行イメージが確立されたのは90年代の出来事だろう。ジャパニメーションの力は強く、実写映画よりもハズレがない。アニメと邦画特撮はそもそも子供向けというのが映画界の常識である。昨今のCG技術の発展は凄まじく、実に驚異的なアングルやスペクタクルを提供してくれる。ハリウッドのB級映画でも特撮効果で十分に魅力的な作品に仕上がったりする。しかし、邦画の場合は実写特撮がホラーに傾いたために、やや青年向けにはなったものの、全体から見ればまだまだ一般大衆の支持を得てはいまい。

 今や東映は日本でただ一つの老舗映画製作会社である。東宝はゴジラしか作ってないし、松竹の傾いた屋台骨はハマちゃんのロッド一本が支えているような状況だ。テレビ映画に置いても「仮面ライダー」を平成の世に蘇らせて、折からの流行のイケメンを配し、ソフトを作り続けている。劇場用映画として「仮面ライダー」だけで2時間映画をきちんと作ればよいと思うのだが、未だに「まんがまつり」のイメージがあるのか、自信がないのかロードショー興行を果たせていない。

 「アギト」「龍騎」「555」「ブレイド」と4年続いた「平成仮面ライダー」の劇場版シリーズは一作ごとに違ったアプローチを見せている。総じて肉体を駆使した殺陣アクションを中心に、低予算ながらCGをポイントポイントで使用してイメージを広げ、かなり健闘している手応えがある。テレビシリーズの中のデラックスな一挿話である「アギト」。テレビドラマ自体が持っていた万華鏡的世界のバリエーションとしてもう一つの完結編を見せた「龍騎」。テレビからは完全にパラレルの世界に飛んでいった「555」。テレビ版の4年後の世界を舞台に忠実な続編(注・1)という設定で描いて見せた「ブレイド」。東映スタッフがこのような実験作を次々と制作し続けていることは驚異的である。いずれは雌伏の時を越え、大きなな仕事が出来るときが来るだろう。この「仮面ライダー」実験劇場の前座をテレビと同様にずっと勤めているのが「スーパー戦隊」シリーズの劇場用映画である。

 「スーパー戦隊」シリーズの元祖は第一作「秘密戦隊ゴレンジャー」であると言っていいのだろうが、チームで活躍する物語は山田風太郎の忍法帖や滝沢馬琴の八犬伝にそのルーツを求められるだろう。民話で言えば桃太郎がまず浮かぶ。また世界で一番うまく作られた戦隊物は黒澤明の「七人の侍」であることは言を待たない。チームで戦う場合のキャラクターの割り振りは「科学忍者隊ガッチャマン」がわかりやすい。 主人公であるチームリーダー(熱血イケメン)、リーダーとはライバルのサブリーダー(ニヒルなイケメン)、紅一点(美女)、チビ(子供)、デブ(醜男)。さらにそのチームに次々と使命を与えるボス(親父)。基本は五人、プラス1である。ボスが指令を出す。忠実に使命を果たすリーダー。自己主張をしたがるサブリーダーが反発。間に立って気を揉む職場に咲いた一輪の花が彩りを添え、チビとデブがギャグパートを担当する。危機に陥るが結果オーライで事件解決。これが一つの典型だったのだが、どうしてもチビやデブのインパクトが薄く、紅一点も活躍の場が狭い。しかも、受け手に「男子児童」を想定しているのわけだから、致し方のない作劇ではある。この典型的なパターン展開を28年も試行錯誤しつつ、2004年に「特捜戦隊デカレンジャー」は誕生したのである。

 「平成仮面ライダー」がテレビでさえも実験を繰り返し、子供を置き去りにしている展開なのは論を待たない。子供のために、しかし子供に媚びないで作られている番組は少ない。ジャパニメーションや「仮面ライダー」が「大きい子供」のために作られるようになっている今、本当に子供のために作られている作品は稀少だ。子供番組が夜の団欒の時間から閉め出されたことを文部科学省はなんと心得ているのか。子供が家庭の中心では無くなっているという現実を全く認識していない。学校教育法を変えるとか言う問題ではない。問題は学校や社会にあるのではなく健全なお茶の間が消えたことにあるのだ。七時台の番組は昼間から下がってきた主婦的ワイドショーか、深夜から上がってきた青年バラエティかに席巻されている。子供が見たい番組を大人がにこにこ笑ってつきあってやるという「団欒」の構図が今や無い。民放連は所詮、明日なき視聴率(利潤)争いに明け暮れる一企業でしかないのだから、倫理を求めるのはおかど違いなのかも知れない。しかし、家族揃って子供の見たい番組にチャンネルを合わせる。家族揃って「チャンネル権」を持つ父親の見たい番組を見る。このような家族の一体感は失われて久しいものである。

そもそも上映時間49分で壮大なストーリーを描くのは難しい。とはいえ「特捜戦隊デカレンジャーTHEMOVIE フルブラスト・アクション」という子供向け映画の美しさについて精一杯語ってみたい。テーマは無論「正義は必ず勝つ」なので……まぁ、これはよしとしよう。

 低予算と短時間の尺しか与えられていない「フルブラスト」は今までの戦隊映画の欠点をそのままに引き継いでいる。テレビ版のテンポそのままであるのはともかく、ファーストシーンとクライマックスに登場するレスリー星の描写は表現といえるほどのレベルではないし、機械奴隷とされたレスリー星人たちの悲しみの描写を登場人物の語りだけですましてしまうのは、説明にすらなってない。駆け足のストーリーが謎も深みもなく突っ走ってしまうので、独立した劇映画としてはあまりにも拙速だ。テレビシリーズをブローアップしたCGがらみのロボアクションは前述のようにお寒いものがある。怪重機キラータンクのキャタピラの造形もよくない。テレビ版のロボのCGによる動きは元々素晴らしいのであるが、大画面に適応したクオリティには達していない。この点は併映の「仮面ライダー剣 ミッシングエース」も同様で、ラストに巨大な敵が登場するが、CGが劇映画向きなレベルとは思えない。テレビ用のCG特撮のスケールをそのままに流用してしまっているからだ。東映系のCG技術はまだまだであり、そもそも怪獣特撮には実績がない。普段のテレビシリーズでさえメカやロボに関する特撮はCGでのスピード感が加わった程度である。特撮イメージとしては「宇宙刑事ギャバン」や「巨獣特捜ジャスピオン」の頃のビデオ合成と目立った進歩は感じられない。敵であるガスドリンカーズの4体のアリエナイザーの造形は凝ってはいるものの、こちらもテレビ的なボリュームにとどまっていて、劇映画ならではの華やかさには乏しい。4体のキャラクターをもう少し描き込むエピソードが欲しかったところだが、尺数の短さ故か、ほぼ造形で立場を描き分るに止まってしまった。髑髏がモチーフのボス(ヴォルガー)と蠍がモチーフの残忍な女(ジーン)。残りは恐竜がモチーフの乱暴な大男(ブランデル)とピラニアがイメージの狡猾な小男(ウインスキー)である。この敵役の配置は併映の「仮面ライダー剣 ミッシングエース」よりは鮮やかで子供にもわかりやすいものだった。仮面ライダーグレイブたちののデザインにはヒーローとしても悪役としても妙味が感じられなかった。マスクには目の存在が大切である。目がはっきりしないマスクはキャラクターの意志をうまくアピールできない。逆に何を考えているのかわからない不気味さを醸し出すためには眼を隠すに限るのだが、グレイブたちのデザインはそもそもデザイン的に正邪どちら側にしてもアピールが弱い。

 「フルブラスト」で特筆すべきは遠藤憲一の存在感だ。現在最も脂の乗っている悪役俳優の一人である遠藤憲一がヴォルガーの人間体を演じている。東映系役者らしく仁義を貫き、戦隊物への堂々たる恩返しである。髪を銀髪にブリーチしていなかったのはギャランティやスケジュールの問題だろうが、相応の演技をきちんと見せてくれている。ワイヤーとCGを使った「けじめキック」は必見である。一方、ゴジラ映画ヒロインに続いての登板なので今後の活躍の場が狭まるのかも知れないと危惧されるところだが、新山千春というアイドルの出演も劇場映画に花を添えており、今までのスーパー戦隊映画らしからぬ破格な布陣である。若いパパの集客にも一役買っているのかも知れない。

 所詮49分という尺と戦隊物という制約はストーリーの豊かさを奪ってしまう。マリーとガスドリンカーズの間に何があったかは、とても子供番組では描けるような事情ではないので映倫がカットしたという事情(嘘)もわかる。「M.I.2」そのままに恐怖のウィルスを注入されたヒロインの命を救うというテーマがあっさりと見失われていたりする。レスリー星人の「右手の法則」は「時間を少しなら止められる」という余りにも有効な特殊能力なのに。それさえも活躍の場が与えられていない。

 それでもこの映画が美しいといえるのは、実は「デカレンジャー」たちのアクションなのである。最初にデカレンジャーとガスドリンカーズが対峙したときに、クライマックスで対決する者同士にカットバックでにらみ合いをさせるなどの細かい伏線がわかりやすい。ラストバトルはアクションのつるべ打ちとなる。デカレッドとヴォルガーの撃ち合いながらのロープを使った垂直降り。吊り橋から落下しながらのデカグリーンの射撃。デカイエローとデカピンクの空中旋回アクション。生身のライブアクションのすばらしさ。特に目を見張るのが、デカブルーのバイクアクションである。ブルーが乗車した白バイがワイヤーアクションで空中をドリフトするのだ。「仮面ライダー」の前座であって、そもそも真面目に見ているのは未就学児程度だろうと思われる戦隊物映画に、どうして君たちはそこまで危険なアクションするの?・・と思ったとたんに涙がにじんだ。そんなにしてやることはないのに。アニメでは当たり前の動きでも実写では一歩間違えば一生後悔する後遺症を負う。アニメと実写の区別も付かないような子供相手に一生懸命、アクションを演じる顔を見せない役者がいて、それを必死に支える姿を見せないスタッフがいる。この素晴らしいアクション劇を正当に評価してくれるメディアは少ないかもしれない。しかし子供たちのために精一杯戦う作り手たちの魂は美しい。

 生身のレギュラー陣である役者たちはまだまだ新人の域を出てはいない。しかし大爆発をバックに変身ポーズをする五人の勇姿は、彼らなりの役への決意が滲んでいて微笑ましい。爆風への恐怖を背中に貼り付けて、彼らなりに精一杯演技をしている。自分たちのスタントをしている名もない、顔出しもない先輩俳優があれだけ立派な動きを見せてくれるのだから、同じキャラクターを顔を出して演じている側として、きっちりと仕事を果たさなくてはという意識が芽生えるだろう。東映特撮俳優養成所。「よい若者を育てているな……。」デューク南郷(木村元)ならばきっと賞賛するに違いない。子供たちに大人たちが揺るぎない「正義」を精一杯、体を張って教えてくれるような番組は今や「スーパー戦隊」シリーズだけなのだ。ゴールデンタイムを席巻するバラエティやドラマは大人の駄目さ馬鹿さだけを露出するだけで、真顔で大人の使命を語りかけてはくれない。子供にとって必要なのは厳格な大人でも一緒に遊んでくれる大人でもない。真剣に生きている大人なのだ。初期の円谷の空想特撮シリーズで戦っていた大人の姿をきちんと見せていてくれた。「デカレンジャー」にはそれがある。子供にとって頼もしい大人を精一杯、若い役者たちががむしゃらに演じていてくれる。各レギュラーキャラクターの描かれ方は実にツボを押さえたものであるので、外国に「スタートレック」があるように、このメンバーで本当の意味で深みのある背景を有する「劇場版」を作り上げてもらいたいと切に願いたい。

 アクションスタントのクライマックスで華麗に登場するのはボスことデカマスターである。レミントンM31ショットガンばりにディソードベガを連射しつつ、デカレッドの危機を救うボスは西部警察の団長・大門圭介そのものであり、刑事アクションファンを唸らせる。「特捜戦隊デカレンジャーTHE MOVIE フルブラスト・アクション」は大東映の名に恥じない「スーパー戦隊映画」の最高傑作である。

注・1……この文章は「仮面ライダーブレイド」のテレビ版最終回以前に書かれたものです。