義経と弁慶




義経と弁慶(2005年、東映太秦映画村)

 東映ヒーロータイムの新人俳優たちと東映太秦映画村のコラボレーション企画。東映イケメン時代劇シリーズ第二弾。この試みは実に有意義だ。時代劇と特撮ドラマはどちらもコスプレドラマであり、内容的に相通じるものがある。平成仮面ライダーシリーズが切り拓いたイケメン路線はハンサムな青年にカッコイイ役を嫌味なく演じさせるフィールドを広げたといってよい。かといって顔やスタイルさえナントカすればナントカなるほど芸能界は甘くはない。なんとかなると勘違いして問題を起こす若手俳優もいるみたいだが、真摯に演技に打ち込む俳優志望の人々もたくさんいるだろう。このような企画はもっと続けるべきである。しかし、翌年から「超忍者戦隊イナズマ」が始まってしまい、痛しかゆしというところではある。特撮出身の若手俳優で時代劇なら、いっそ特撮時代劇にしてしまえという発想は悪くない。悪くないし、事実イナズマは成功していると思うのだが、「特撮」ではなく、「時代劇」を若手に演じさせてやってこそ意義がある。

 時代劇は年々ファンの年齢層が高齢化してしまい、若い視聴者との間にギャップを生みつつある。80年代に「必殺仕事人」が人気のピークを迎え、国民的な時代劇となったのが時代劇の終焉だったというべきか。所詮、変化球しか受けなくなっていたのが80年代なのである。かつては一家団欒の中心に一台しかない居間のテレビがあり、家族揃って大河ドラマや水戸黄門を見るという家庭が多かったはずだが、今では一部屋に一台テレビの時代。大人と子供の嗜好は恐ろしくかけ離れてしまい、国民的なヒットは現れにくくなっている。購買意欲が旺盛な若者を対象とするだけで商売が成り立ってしまうために、歪になっているのだ。それは映画界でもそうだ。日本映画は一時期の低迷を脱して、興行も上向きになったと聞くが、名実ともに大作といえる映画が国民的なヒットを記録しているわけではない。「実感なき景気回復」みたいなものだ。国内の情勢はさておき、邦画が世界に売るコンテンツはアニメと時代劇であることは論を待たない。日本のアニメといえばチャンバラの要素は欠かせない。ガンダムやエヴァでさえチャンバラするのである。チャンバラは新しい血を必要とする。時代劇の灯を消すことは日本文化の根底を失うに等しい。それゆえに若手俳優だけで時代劇のメッカ、東映太秦撮影所札をフル稼働させようという試みは真に貴重な試みなのだ。

 本編「義経と弁慶」はモプシーンには東映のバンクフィルムを使用しているために、低予算ながら見ごたえはある。若手俳優は真摯に自分の役に挑戦しており、短期間ながらも稽古を積んでいるが、残念ながらフジテレビの新春スターかくし芸大会のドラマと揶揄されても仕方のない出来栄えだ。東映のバンクフィルムはおそらく東山紀之が義経を演じた「源義経」を流用したものだと思えるが、画面の質感が違い過ぎる。イケメン俳優陣は林剛史のすべりがちな熱演が好印象ではあったものの、全体的にぱっとしない。所作、台詞回し、歩き方すらなっちょらんのである。だが、若手俳優たちの心意気は十分に買える。木下あゆ美の静御前には当然「舞」がつき物なのではあるが、残念ながら見ちゃいられない。ちょっとやそっと練習しただけで「静御前の舞」を踊るのには無理があった。監督もさすがにこのシーンは苦労したようで、カットを割ったり、とことん短く切り詰めたようだった。メイキングの中で彼女が殺陣を行うカットがあったが、そちらの方が筋がいい。男装の女武者役で水戸黄門ご一行に加わるのも悪くない。

 厳しいことを書いてしまったが、舞姿をのぞくと木下あゆ美の初時代劇はうまくいっているというべきだろう。寧ろ好演しているといってよい。水干の白拍子姿が拝めなかったことが心残りであるが、ステレオタイプの戦国の女を演じていて、無理がない。大河ドラマや「あずみ」にも是非出演して欲しいものだ。このDVDには映像特典としてメイキングのほかに義経主従の京都レポもついている。ファンならば是非一枚欲しい作品のひとつだろう。