くも漫




くも漫。(2017年、クリエイティブネクサス)


 くも膜下出血には予兆がない。私も数年前に発症したことがある。私事で恐縮だが、少しその時の模様を綴りたい。三月の半ば、夜の九時に入浴。飲酒していたわけでもなく、その日はややぬるめの浴槽に身を沈めた。のんびりと肩まで湯につかった瞬間にバットで後頭部を殴られたような痛みを感じて、慌てて浴槽から立ち上がろうとした。しかし体が右回りに回転して、そのまま浴槽に再び沈んだ。両手で湯船の縁をつかんでやっと体を起こして、何が起こったのか考えた。すると、視界の左上三分の一だけがかすんで見えていた。目を上下左右に動かしてみて、左目が原因なのではなく、脳の中のスクリーンに亀裂が入っているのが分かった。とっさにくも膜下出血という言葉が浮かんだ。湯船からゆっくり立ち上がり、体を拭いて、パジャマを着こんだ。二階への階段を頭痛に耐えながら這うように上り、寝室の布団の上に横たわって、妻に救急車を呼ぶように指示した。その後、救急車でERに運ばれて、MRIを撮った辺りまでは覚えているが、その後の記憶はない。10時間の手術の後、目を覚ました。

 主人公の妹が携帯で「くも膜下出血」を検索すると、禍々しい文字が浮かぶ。 死亡30% 後遺症40% 社会復帰30% 同じウィキべディアを私も病室で読んだ。

 映画の主人公は私のように自宅ではなく、なんとも間が悪いことに風俗店で行為の真っ最中に発症してしまう。彼の場合は私よりも重篤で、最初の一撃で激しい頭痛に襲われ、パンツをはこうとした時に第二撃に襲われ、昏倒してしまう。MRI検査の辺りで完全に意識を失うのは私と同じである。彼の場合は再び気が付いた時には術後の病室。生き延びたのは良いとして、問題は風俗店で倒れたということを周囲にどうやってごまかすかという方向に展開していく。

 
 映画は作者の実体験をもとにして作られたということである。闘病物というよりも変則的な青春ものであるようだ。しかし、コメディとしても闘病物としても中途半端であり、膨らまない物語だった。主人公は風俗店のスタッフや病院スタッフ、果ては両親からも温かく迎えられ、ある意味幸せな入院生活を送り、退院する。風俗嬢や看護師とのロマンスがあるわけでも、深刻な危機を乗り越えるわけでもない。平板な養生物語になってしまった。風俗店で倒れたことを両親や親戚に隠すために悪戦苦闘するところをもっとスラップスティックなコメディにしてしまえればよかったかもしれない。前半の風俗店の描写が生々しいので、ファミリー向けの映画でもないし、逆に青年向けにしてはお色気が足りない。ターゲットはくも膜下出血に罹患しそうな中年層なのだろか。平田満の「いいんだ、男なんだから。みんな恥をかいて生きていくんだ」という言葉が一番響くのは若者に対してだと思うが、若者が見るには退屈な映画になっている。
 風俗店でくも膜下出血を発症した主人公が救急車で搬送された先の救急処置室の当直医が木下あゆ美の役どころである。白布の下が全裸という患者に眉をしかめる。女医役は初めてであるが、白衣姿も凛々しい医師役をスマートにこなしている。登場シーンは二つだけであり、どうして彼女に白羽の矢が立ったのか不思議なくらいである。医師として患者が倒れた状況を救急隊員に尋ねる。「ファッションヘルス?なにそれ?」「風俗店です」「セックスするの?」「セックスはしません。スマタです」「スマタ?」「スマタとは・・・」と救急隊員が説明を始めるのを聞いていたが、途中で遮って検査を始める。要するに監督さんが木下あゆ美に「セックス」とか「スマタ」とか言わせてみたかっただけなのではなかろうか。(けしからん!もっとやれ!)