ガールズ・イン・トラブル スペース・スクワッド EPISODE ZERO




ガールズ・イン・トラブル スペース・スクワッド EPISODO ZERO (2017年、東映)


 目を覚ます。そこはまるで監獄。ここはどこなのか。なぜここにいるのか。全くわからないままに、宇宙怪物の襲撃を受けて殺されてしまう。すると、また目を覚ます。そこはさっきと同じ部屋。同じ状況が繰り返される。前回の行動を少しずつ修正しながら、監獄からの脱出を図る。他の女刑事と合流して試行錯誤を繰り返す。失敗すれば死んでしまうが、またスタート時点に戻ってやり直せる。知力体力気力を駆使して遂に宇宙怪物を倒した。……と悪夢から醒めて現実に戻ってくる。長官救出のために作られたシミュレーションプログラムの中で女刑事たちが試されていたというのが、映画の前半である。後半は失敗すると本当に死んでしまう長官救出に女刑事たちが挑む。
  木下あゆ美が堂々の主役である。監督は大の太ももフェチであり、木下あゆ美フェチでもあるが、自分の嗜好を出しすぎるきらいがある。太もも全開の木下あゆ美と一緒に仕事ができればそれでよしとする自分のリビドーに正直な監督だ。それは木下あゆ美にショートパンツの囚人服を着せてアクションさせることで達成できたのかもしれない。、デカレン10周年作品の時よりSPDのスカートは短くはなっていたが、中途半端な髪形といい、彼女の美しさを見せようとする意図は乏しかったようだ。もっとじっくりと彼女の魅力を画面に映し出してほしかった。

 
  そもそも観客の絞り込みの難しい企画ではある。ストーリーラインは完全に「お子様」向けではあるが、CGの血しぶきが盛大に上がるので、「お子様」には見せたくない。ゲームの中とはいえ繰り返し惨殺されるのは趣味が悪い。シミュレーションであることがわからず繰り返される前半でお腹一杯状態で、実際に挑む現実の救出劇が答え合わせになってしまい、前半の緊張感が維持できていない。
 夢がループする展開も既視感にあふれ、残念な仕上がりである。夢ループ的なアニメといえば「時をかける少女」「シュタインズ・ゲート」が浮かぶが、そもそも夢ループ的主題は「かけがえのない一度限りの瞬間」をやり直したいという切なる思いがあってこそ、盛り上がる。それが本作品にはない。「ミッション:8ミニッツ」や「デジャヴュ」のような洋画SFも恋愛要素を絡めることで最後に愛が奇跡を起こす作品になるのだが、ジャスミンは亭主と子持ちだし、ウメコは結婚直前、他の女刑事たちにも決まった相手がいるようなので、ストーリー上の直球的な恋愛要素がない。彼女たちにとって任務遂行は事件解決のための作業なのかもしれないが、作業終了では感動は生まれない。
 前半に執拗に繰り返される夢ループが進行のためのリセマラになっている。ストーリーを引っ張っていくのに、恋愛要素が必ずしも必要なわけではない。しかし、スーパーヒーロータイムの一編であっても動機付けが通り一遍の勧善懲悪だけで終わっていては、凡作。せっかくの夢ループ設定を生かしているとはいいがたい。リセマラはただの作業なのである。夢ループ作品は一期一会への拘りが感動を生むのであって、「失敗したって、またやり直せるから、いろいろ試してみましょう」というのでは、テレビゲームで「負けそうだから、リセットしてしまおう」というのと同じである。ヒーロー(ヒロイン)には正義の執行以外の動機付けがないと、薄っぺらい正義の味方で終わってしまう。これは企画と脚本の敗北である。結局、勝利したのが監督だけというのは問題である。
 ジャスミンはサイコメトリー以外にもテレポート能力と若干のタイムリープ能力を獲得したはずだが、その設定は今回は封印されてしまったようである。